私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

残り89日 -音楽について(1)ライブ NFG,KASABIAN-

これは今年で30歳になる私が、20代を終える焦りで始めたブログです。
30歳までの100日間、毎日30分は時間を取って書いてみようと思います。

 

EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」

1か月ほど前、父親に唐突に「矢沢永吉って興味ある?」と聞かれた。「あんまり知らないな」と答えた。話を聞いてみると、50周年とのことで一度は観ておくかと抽選に申し込んだところ、3枚当選したとのことだった。そこで、父・母・私の3人で観に行かないか、という誘いだった。

両親から矢沢永吉が好きだという話は一度も聞いたことがなかったが、ふと思い立ったらしい。せっかくなので誘いを受け、8/28国立競技場へ観に行ったところ、想像以上にスター矢沢だった。スターであることに意識的で、ストイック。こんな72歳は他にいない。

ものすごい規模で大変豪華な演出だったが、こういうライブに参加したのは初めてだな、と思った。

 

ライブ13選

ということで、これまでに観たライブで印象に残っている13選を書き出してみた。今回は1と2を書いていく。本当に個人的な思い出だ。

  1. 2009/03 New Found Glory @新木場スタジオ・コースト
  2. 2009/08 SUMMER SONIC -KASABIAN- @幕張メッセ
  3. 2011/07 The Music @大阪Big Cat
  4. 2012/09 Ringo Deathstarr @高円寺HIGH
  5. 2015/05 eastern youth @名古屋CLUB QUATTRO
  6. 2016/05 どついたるねん × 神聖かまってちゃん @恵比寿LIQUIDROOM
  7. 2017/06 eastern youth × KING BROTHERS @新宿LOFT
  8. 2017/10 The Zoobombs × Indus&Rocks @元住吉POWERS2
  9. 2017/11 踊ってばかりの国 @東京キネマ倶楽部
  10. 2018/08 Less Than TV -FUCKER,二宮友和,ロンリー- @渋谷 TSUTAYA O-nest
  11. 2019/12 radioDTM -折坂悠太,MOROHA- @新宿LOFT
  12. 2020/01 Bon Iver @Zepp Tokyo
  13. 2022/02 OGRE YOU ASSHOLE × カネコアヤノ @めぐろパーシモンホール 

なお、別で青年期の曲100選を書きたいという壮大な計画を持っているので、今回はあくまでライブ体験について書いていく。

 

1. 2009/03 New Found Glory @新木場スタジオ・コースト

高校1年生の春に友人のSくんと観に行ったが、これがライブらしいライブの初めての体験だった。あえて言うなら、青年期というよりまだ思春期だったと思う。

New Found Gloryアメリカのメロディックパンクバンドで、気の良い兄ちゃんたちといった感じのバンドで、偶然MTVで観た"Kiss Me"のMVで好きになった。あの頃としては遠出だったし、緊張していたような気がする。ライブ会場では色んなバンドのステッカーを配っていて、それを貰えるだけで嬉しかった。色々と事前に情報を集めて、どうやらコール&レスポンス的な箇所は押さえた方がいいらしい、とか、モッシュピットってのがあるらしい、とかそんなことをSくんと話していた。

到着すると会場は満員で、既に対バンのAnberlinというバンドの演奏が始まっていた。Anberlinの予習まで手が回っていなかった自分たちは、事前に"Godspeed"という曲の冒頭の"ハイハイ!"という掛け声だけは必ず押さえようと決めていた。(00:35~)

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「これ決まったら絶対気持ちいいよね」と楽しみにしていた。フロアの後ろの方から眺めていると、不意に"ハイハイ!!!"と掛け声が会場に響いた。「え?これ"Godspeed"だった・・・?」と、結構悔しかった。Anberlinについてはそれしか覚えていない。

 

New Found Gloryの出番となりフロア中央あたりへ進んでいった。演奏が始まってからは、色んな初めての感覚があった。曲が始まる瞬間の高揚、シンガロングする一体感、身体をぶつけ合うことの気持ち良さ。高校生の頃は、だいぶこの快感に支配されていた気がする。部室でも音楽をかけ友人と身体をぶつけあっていたし、高校の文化祭でもモッシュを起こしていた。あの気持ち良さは何だろう。暴れたいという欲望が満たされるのか、周囲との仲間意識か。

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そして、フロアの酸素の薄さ、生命の危機、シンガロングできないときの気まずさなんかも感じた。ポップパンク、メロディックパンクの現場というのは、全曲シンガロングできて当たり前というところがあって、ノリきれない時には気まずさが生まれる。初めてのライブがこれだったからこそ、その後のライブでもノリきれないときは「聴きこんでない自分が悪いなあ」と思うようになった。

 

後にPUNK SPRING 2010でも彼らを観たが、その時にはもう慣れて、存分に押し合い、手を振り上げ、叫んだ。もう全曲シンガロングできるようになっていた。

あと、ボーカルのジョーダンはライブでなかなか声が出ないので有名で、キッズだった自分は"Jordan! Louder!"と大変失礼なことを言ったりもした。ミネラルウォーターの水を宙にまき散らすのにも憧れて真似をし、水はある程度少ない状態でやるのが望ましいと学んだ。

 

ダイブにも憧れていたが、結局まだしていない。まだチャンスがあるだろうか。

 

2. 2009/08 SUMMER SONIC -KASABIAN- @幕張メッセ

友人のHさんと行った初めてのフェス。自分たちにとってはKASABIANPhoenix、The Big Pinkあたりがメインだった。結構予習をして向かった思い出がある。これも思春期かもしれない。

会場に着いてまずTシャツを買ったが、サイズ感が分からず小さいのを買ってしまった。自分のサイズも分からないのであれば、それは思春期だと言えるだろう。

フェスの会場を行き来する感じ、大人の音楽好きに囲まれる感じが新鮮で楽しかった。外国人のオーディエンスも多く、目の前で肩車をされ前が見えなくなったりした。

Phoenixは肩の力が抜けたおしゃれな感じだった。

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今でこそ聴かなくなってしまったが、KASABIANの格好良さには抗いようのないものがあった。あのカルト的でゴシックでいながら、獣らしい雰囲気。当時の自分は食らってしまった。これまでのライブの経験から「ライブは前方であればあるほど楽しい」と学んでしまった結果、押しつぶされてかなり苦しかった思い出がある。

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そしてこの年のサマソニで学んだことは、参加日以外も予習をした方が良いということである。後日のMTVかスペシャの放送を観た自分は、別日のElvis CostelloThe Specialsを好きになって、今でも何故彼らを観なかったのかと後悔をしている。

今改めてラインナップを見返すと、観たいアーティストが多すぎる。今のサマソニとはかなり性格が異なる。KASABIANと同じ日に、Aphex TwinMogwaiゆらゆら帝国THA BLUE HERBが出ているし、七尾旅人もいる。別日にはSonic YouthやGrizzly Bearがいる。

とはいえ、当時の自分にはそこまで情報はなかったし仕方ない。このサマソニ、配信をきっかけに色んなバンドを好きになることができた。思い出のライブだ。

 

12日目を終えての感想

・もっと格好つけたライブを選んじゃうかと思ったが、結構素直なラインナップになった。ライブの格好良さというだけでなく、色んな思い出込みで選んでいる。

・今回は一旦早めに切り上げる。

残り90日 -お笑いについて(2)2010年頃の深夜バラエティ-

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お笑いについて

前回、高校生でお笑いを好きになったきっかけを書いた。

eiraku-san.hatenablog.com

たしかにケータイ大喜利あらびき団には影響を受けた。今回はそれからどんなものを好きになっていったか書いてみようと思う。

というのも、昨日タイタンシネマライブを観に行ったので、お笑いについて書きたい気分になった。やっぱり爆笑問題はすごいし、ウエストランド、キュウも面白い。ウエストランドはこの前のK-PROのライブでも思ったが、本格的に井口さんがボケてきてる。最近はスタンダップコーギーも、ボケの三森さんがわざわざボケなくなってきていて、似た変化で面白いなと思う。

次回のタイタンライブ

ただの思い出話になってしまいそうだが、振り返ってみよう。

 

テレビ東京の深夜バラエティ

高校生になり深夜バラエティにハマっていった。特に当時のテレビ東京の深夜バラエティのアリケン、ゴッドタン、恵比寿マスカッツモヤモヤさまぁ〜ずあたりが好きだった。

 

アリケンはホリケンとくりぃむしちゅー有田さんによる番組だが、二人の態度も深夜だからかふわふわしていて、企画に沿ったり沿わなかったりする。かなり後になって有田さんの脱力タイムズが始まり、有田さんはやっぱりこういう空気感、曖昧な雰囲気が好きなんだな、と感じた。脱力タイムズではそこから何かが生まれるような演出があるが、アリケンでは何も生まれなかったりした。

あらびき団のお笑いは短距離走のイメージで瞬間的、アリケンはマラソンという感じだろうか。何かが生まれる瞬間を待つ、という行為があった。進行がぐたぐたしていても、何かが生まれる瞬間に立ち会うためには、観ているしかない。結局、生まれない場合もある。そういう不確定な流れのお笑いに触れたのは、アリケンが最初かもしれない。

 

アリケンでリアルタイムで観た企画はほぼほぼ覚えていない。二人がにやにやして、それらしいことを言って、つっこまれるとごまかす、そんな雰囲気だけを覚えている。笑いを求められても、なんか恥ずかしそうにごまかす。二人でいると、笑いを積極的に取りに行くのが恥ずかしいようだった。

数少ない覚えている企画は、真剣10代しゃべり場のパロディ企画で、これはYouTubeにもあがっていたから、繰り返し観た。「テレビ東京は必要か?」と有吉さんが提起して、蛭子さんをこき下ろす。有吉さんの面白さを知ったのは、この番組ととんねるずのみなさんのおかげです、がきっかけだろう。アリケンの適当さの中、何を言ってもいい雰囲気の中で、有吉さんが言いまくる。普段はゆるい身内の中でやっている番組に、急に暴力的な有吉さんが現れる。アリケンの二人すらも有吉さんに追及される。そんなこと言っていいんだ!ととにかく笑ったし、憧れを感じた。

 

 

ゴッドタンは今でも続いているし、魅力もみんな知っているだろうからあまり書かないが、高校3年から大学くらいまでは、おぎやはぎが一番かっこいい芸人だと思っていた。(今でもかっこいいと思っているが、触れる機会があまりなくなってしまった)劇団ひとりももちろんすごい。とにかくゴッドタンの企画の凄さ。キス我慢、暗記王、マジ歌、大声クイズ、マジギライ、簡単にいくつも思い浮かぶ。

 

 

恵比寿マスカッツは、高校生当時に最も興味があるエロとお笑いの融合だから、やっぱり観ていた。おぎやはぎがMCだし、大久保さんも面白いし、メンバーの振り切り具合も良かった。

ここにもゲストで有吉さんは出ていたし、ドランクドラゴンの鈴木さんも出ていた。それがきっかけで、鈴木さんのブログを読み始めてそれにもハマっていた。有吉さんとディレクターのマッコイ斉藤さんのコンビでは、「我々は有吉を訴える」も大好きだった。

大学に入ると、友人の大学へマスカッツが来るとのことで観に行った。里美ゆりあが「じゃあみんなでヤろうよ!」みたいなことを言って、講堂が驚喜に揺れていた。

 

 

スタッフにまで興味を持つようになったのもテレ東の深夜バラエティがきっかけだろう。アリケン・モヤさまの伊藤さん、ゴッドタンの佐久間さん。自分には無理だろうなと思い採用を受けもしなかったが、私も含めテレ東でバラエティを作りたいと思ったことのあるお笑い好きは、たくさんいるはず。そういえば合同説明会で伊藤さんの講演を聞きに行った覚えがある。

 

その他の深夜バラエティ

あらびき団がきっかけかもしれないが、高3頃から吉本無限大ホールの動画を観るようになった。そこで好きだったジューシーズというトリオが、パンサー、ジャングルポケットと一緒に2010年から「333 トリオさん」という番組を始めた。ちゃんと毎週観ていた気がする。

ジューシーズ児玉さんが面白くて天才だな、と思っていた。メンバーの中でのアンケートでも、児玉さんに一番売れてほしい、とみんなが思っていたようだった。2022年時点では売れていないが、今でも自分は児玉さん、相方の赤羽さんを信じている。これまであらびき団の飛び道具的な芸人や、おぎやはぎのような中堅のような芸人を好きになっていたが、ジューシーズは吉本で情報発信も多く、なんだか身近に感じられて新鮮だった。

 

 

それと芸人の番組ではないが、フジテレビ深夜の15分番組「マツコの部屋」も好きだった。これもあらびき団ガリガリガリクソン同様、どうにか動画をダウンロードしてiPodに入れて、繰り返し観ていた。ディレクターが作ってきたネタ動画をマツコ・デラックスに見せて、その反応を映すという番組で、マツコさんのファンになったきっかけだった。ディレクターの池田さんは脱力した感じで、あえてマツコさんに怒られに行く。「センス良くないですか?」みたいな態度で、あえてマツコさんの癪に触れる。

思い返して、改めて面白かったなと思う。池田さんの名前で調べてみると今は水曜日のダウンタウンにも関わっているようだ。やっぱりな、という気がして嬉しい。

 

11日目を終えての感想

・また更新が遅れている。この記事は構想は当日に書いたが、実際はその2日後に書いている。良くない。

・今回もまとまりがない記事となってしまったという反省がある。

・今日はあと2記事仕上げなければならない。

残り91日 -自分の長所と短所-

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試験官がトリプルファイヤー吉田さんだとして

バンド「トリプルファイヤー」のボーカル吉田さんのYouTubeを観ると、同居人オーディションの動画があがっていた。

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吉田さんは少し前に、同棲していた彼女が家から出ていった、と言っていたからおそらく広い部屋を持て余したのだろう。

動画には、4人の候補者が現れ、同時面接が行われる。就職活動のように、吉田さんが「長所と短所を教えてください」と言う。それぞれが、吉田さんと共同生活しても嫌にさせない、(吉田さんと過ごしても)嫌にならない、ちょうどよく自分も駄目なやつだ、とアピールをしていく。自分の社会的地位や一般的な有能性ではなく、"吉田さん"に対してのメリット、デメリットが問われている。それを候補者4人がきちんと分かっている。

面白い動画なので、時間があれば観ていただきたい。(吉田さんの人柄を知らないと、最初は戸惑うかもしれない)

 

 

そこで、吉田さんに同居人として選んでもらうために、自分なら何と答えるか、と考えてみたい。書いてみよう。

「長所は、生活面ではわりとちゃんとしてます。掃除、洗濯も最低限はします。ですが、根本ではだらしないので、そんなに徹底してやるような感じではないです。吉田さんへの圧にならないような、適度な範囲だと思います。料理もわりとします。吉田さんのことは面白くてすごい人だな、とリスペクトしてます」

「短所は、色々と我慢してイライラしてしまうことですかね。例えば、吉田さんと生活していく中で、あまりにも吉田さんが家事をしないと、段々とむかついてきてしまうと思います。その怒りをすぐに吐き出さないで、少し溜めてから言っちゃいますね。あと、吉田さんの方が酒を飲むと思いますが、ずっと酒代を割り勘されたら、気になっちゃいますね。ですが、家賃を多く出してくれるとか、何かに誘ってくれるとかであれば、多分気にならないです」

 

これでは選ばれない気がしてきた。神経質なやつだと思われるだろう。だが、短所については、これは自分の性質で、「これやっておくよ」と自分が自発的に始めたにもかかわらず、相手から何の協力も見返りもないと、「何でこんなことやらされているんだろう」という思考に陥りがちだ。

しかし、この思考パターンについては、友人との間であれば「見返りは求めない。自分がやりたいからやっている」と自分に言い聞かせることで、克服できつつある。旅行などで何度も陥ってきたが、回数は減りつつある。なお、仕事では全く克服できていない。「これやっておきますね」が、やりたくてやっているわけがないからである。

 

転職活動だとして

もし転職活動をするなら、どうなるだろうか。

「長所は、商品企画やプロジェクトにおいて、企画から事前の社内調整、スタートしてからのケア、その後の分析まで、一貫して粘り強く取り組むことができる点です」

「短所は、チームでの仕事において、自分の業務負担が多い際に、上司や同僚へサポートを頼むことに、少し苦手意識がある点です。持続的な部署運営のためにも、頼れるべきことはお願いすべきと分かってはいますが、自分の仕事として責任感を持ってやるべきだ、という意識や、自分が方向性を考えたいという考えで、なかなか相談できないことがあります」

 

こういった感じだろうか。就職活動の場で長所は、売り込みのようになる。書いていて楽しくない。短所は、動画の中でもあったが、就職活動においては、無難すぎても信用できないので、絶妙なラインを攻める必要があって難しい。上に書いたことも、本当のことも踏まえそれなりにそれっぽく書いたが、どうなんだろう。吉田さん対策で書いた短所と重なるところもある。

 

幼なじみの友人だとして

それでは、小学生からの幼なじみとの久しぶりの再会で、長所と短所について話すとしたら、どうなるだろう。

「長所は、なんだろうね。わりといいやつだよ。おれにしてはちゃんと生きてる。好きなものも多いし。嫌なことがあっても、あんまり感情的になりすぎないようにしてる。できるだけ人の良いとこ、面白いとこを見つけようと思ってる」

「短所は、やっぱり怠惰なとこだね。自分への期待値が高いわりに、全然動かないし学ばない。時間にもルーズ。あと、親しい人に甘えすぎ。それと多少は丸くなったけど、自尊心の高さが隠せてない、偉そう。」

 

ずいぶん正直になった。やはり誰と話すかで内容は変わってくる。短所は、むしろ自分の人生の膿を出すためにも聞いてくれ!みたいな勢いがある。

 

10日目を終えての感想

・みなさんなら長所と短所を聞かれて何と答えるでしょうか。

・20歳、25歳の時点の回答とは異なるはずだ。今後も変わっていくだろう。書いていく中で、性格の自己認識は環境にかなり左右されること、話す相手にも影響を受けることが分かった。

・昨日も寝落ちをしたので、翌日に更新をしている。おおまかなところは、昨日考えていた内容である。

・10日間続けられたかは別として、これが10記事目になる。おつかれさま。

8/7 呂布カルマ×トリプルファイヤーのライブ。大変楽しかった

 

 

残り92日 -寝落ちしました-

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寝落ち

寝落ちしてしまい、ブログを書けなかった。これは翌朝、出社する電車の中で書いている。
(そしてアップロードはさらにその次の日)

〈本日制定のスペシャルルール〉翌朝の電車の中までは前日の記事を書いていいこととする。アップロードは翌々日まで可

資料作成とブログのための連日の睡眠不足が原因、と言うこともできる。だが、昨日は厄介な会議がやっと終わり、解放された!という思いがいっぱいになった結果、夜に屋外プールへ行ってしまった。それが実際のところの原因だ。

夜のプール
プールサイド

大変良くないことだが、ビールを一本飲んで向かった。疲れと酔いもあいまって、プールサイドの壁にもたれかかっている時間が長かった。これまでにない不思議な感覚があった。目を瞑って、ナイターのライトの明るさをまぶたのあちら側に感じる。耳をすますと、波の音、人々が水面を叩く音、蝉の声が幾重にも折り重なって、包み込まれるような感覚があった。
段々、身体が冷えていくのを感じた。もう少し体脂肪が必要だ。「なんで太ったの?」と聞かれて、「海やプールをもっと長く楽しみたいからさ」と返してみたい。


プールを出ると野良猫がいた。

自分が猫なら、と考える。人間が手を差し伸べてきても警戒は緩めず、寄って行くことはしないだろう。しかし、そいつが距離を取って、写真を撮り始めたら、「こいつはただの猫好きだ」と判断して近寄ってやる。
触れ合いたいという下心を持ち、そんな都合の良いことを考えていたが、猫は茂みの中へ消えて行った。

去り姿


プールを出て、勢いでマクドナルドに入った。疲労と空腹で、とにかくカロリーが欲しかった。
初めてサムライマックを食べた。パティの凄さに、街なかでひとりで気軽に入れるハンバーグ屋さん、それがマクドナルドだ、と称賛をしたくなった。
あと、ポテトを揚げる音をテーマにしたクラシックBGMが店内でかかっていた気がしたが、あれは幻聴だろうか。疲れていたから、自分を信用できなかった。


マックを出て、歩きでたらたらと30分近くかけて帰ってくると、ブログに取りかかる気になれず、ベッドに寝転んでしまった。
「夜中に一度目が覚めるはずだから、その時に書こう」と決めたのを覚えている。まるで信用できない決心だ。どこで通用するロジックだろう。
だが、そんな決心で自分をどうにか納得させ、目を閉じた。



と、以上が寝落ちに至った経緯である。

残り93日 -イマジナリー上司 ブログを1週間書いて思うこと-

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そろそろ学んでほしい

これまでの1週間、どうにかブログを続けてきたが、いつも想定している所要時間を超過している。平均して見積もりの3~4倍の時間がかかっており、しっかりと生活を圧迫してきている。

そもそものブログの趣旨からして、内容が濃いのに越したことはない。ブログとして残るものだし、一定のクオリティは保ちたい。だが、さすがにこれでは持続的でない。

私が自分の上司なら「最近頑張ってるね~、内容もいい感じだし。でも、大丈夫?色々と他にもやることあるでしょ?」と声をかけるところだ。以下、上司との会話。

 

私「結構時間かけちゃってて…」

上司(私)「あ~そうなんだ。でも始めたばっかだし、仕方ないんじゃない?」

私「いずれ慣れてくるんですかね?書きたいことはまだまだあるんですが、どれも長くなりそうで不安なんですよね」

上司(私)「大変だね!でも、たしかに割り切りも必要かもね。やっぱり時間で区切るとか、続きは明日書くようにするとかさ」

私「そうですよね、その割り切りが下手だなって思ってたところです」

上司(私)「ちゃんと自分でも認識できてるんだ、さすがだね」

私「書いてる内に欲が出てきちゃって。30歳になるまでの今だけだし書いちゃうか、って気分になって、睡眠時間削っちゃうんです」

上司(私)「ああ、たしかにね。気分が乗ってくるとそうなっちゃうの分かるな~私もそのタイプ」

私「ささっと書けるだろうって内容で結局2時間かかったりするんですよ。今後、書きたいようなことって、多分半日つぶれちゃうんですよ」

上司(私)「そっか結構かかりそうだね。まあでも始めて1週間でしょ?多少時間とかに気を遣いながら、もう少しやってみたら?また話聞くしさ」

私「たしかにまだ1週間ですしね!ありがとうございます、もうちょっとやってみる気になりました。また相談乗ってください!」

 

8日目を終えての感想

・自分で自分の機嫌を取るのが大人だ。そう聞いたことがある。

・今日こそは30分で終わらせようと思いタイマーを使っている。あと1分。

・月末は仕事が色々とあって、なかなか本来書きたかったようなこと文化的なことに思考が回らない。

・適度な精神的ゆとりというのは大事である。

・同時に、何故か疲労の先や時間に追われたときの自分に、いつもものすごい期待をしてしまう。どうにかなるだろうと後回しにする。過去の自分は、いつも未来の自分を社畜のように酷使しようと考える。

・過去の自分を責めたくなったり、慰めてやりたくなったり忙しい。そして、未来の自分に迷惑かけないようにしてあげようと思いながら、これからも「あとは任せた」と丸投げをしていくのだろう。

・結局40分かかった。

いい椅子だ。どこかのバス停

 

残り94日 -仕事について(1)-

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今日こそは

昨日は資料作成をしなければいけないところ、延々とブログを書いていた。そのせいで資料は手つかず、睡眠時間も4時間そこらだった。

今日こそは長くても1時間で書いていく。誤字脱字のチェックや何やらは、アディショナルタイム10分を認める。

 

仕事について

今の担当業務はもう5~6年関わっている。ずっと兼務に次ぐ兼務だったが、ついにこの4月から専任になってしまった。

これまで部署はほぼ変わらず、あわせて5つの業務を担当してきた。担当業務は増えたり減ったりしていた。その中でも、これはもうお腹いっぱいだな、と思っていた業務の専任になってしまった。

今年の3月の半期ごとの面談で、上司へ「もう満足しました、外してください」と言おうと思っていたところ、タッチの差で専任の辞令が言い渡された。お~そう来たか、やられたな、と思った。

お腹いっぱいになっていた理由のひとつとして、兼務に次ぐ兼務で、ひとつの業務をやりきれないことへの不満があった。戦略系の部署で雰囲気は格好いいし、当初は色々と知れていいなあ、とか頼られてるなあ、と思っていた。根が素直なので。

しかし、段々と、これ上手いこと使われてないか?と疑いが生まれてきた。上司からのマネジメントもなく、同じ業務を担当する先輩もいない。わりと野放しで、業務量と範囲を考えると、なかなか細部まで行き届かない。あ~あ、きれいにPDCA回してみたいな~、どこかに落ちてないかな~PDCA、と思っていた。

 

そんな中、専任の辞令を聞いて、入社してから初めて、ひとつのことに専念できると考えるとやりがいがあるように思えた。あれから4か月、お腹いっぱいでちょっと吐きそうだ。

 

会議と私

自分が担当者として主管する、月1回の責任者出席の会議がある。その会議資料をもう5~6年作っているが、その内容もどんどん変わってきている。

経験を積むにつれ、クオリティは上がっている。前回報告内容の進捗確認、数字に基づいた丁寧な分析、他部署への根回し、今は以前とは比べられないくらいしっかりと準備をしている。議題に過不足もなく、資料はポイントを押さえていて見やすいし、分かりやすい。何なら中学1年生でも分かるレベルだと思う。

正直、やりすぎだと感じている。相手は中学生ではない、貫禄たっぷりの50代たちである。小学生の子どもへ「漫画ばっかり!本も読みなさい!」と怒る親の気持ちが少し分かる。

 

以前は4~5ページだった資料が、気付けば平気で20枚のスライドになっている。これまでの会議で受けてきた指摘を盛り込んでいくと、そんなボリュームになってしまう。「目的は何だよ!」や「で、結局どうすればいいの?」や「それは事前に協議しておきなさいよ」といった言葉たちである。

会議の前には、他部署の責任者へ資料記入を依頼しそれを添削する。もしくはドラフトをこちらで書いてしまう。そしてデスクまで行って「ここで私がこう振りますから、こう言ってください」とお願いをする。笑点歌丸師匠のような気分で、いつも話を振っている。今のところ、座布団をあげたくなるような回答はなく、山田くんもいない。

以前は上司から事前の調整が不十分だと指摘をされていたが、最近は予定調和に進みすぎて飽きてきたのか、「上手くまとめようとしなくていい、燃え上がるくらいでいい」と言われる。円滑な会議運営の先に、刺激的な会議運営というフェーズがあるとは知らなかった。「あの会議は中身があっていいな」という褒め言葉はあっても、「あの会議、ハラハラして最高なんだよな!」というのはなかなかない。

 

そして、今日もこれから資料作成をする。着火剤は仕込まない。

 

10年前の今日8/23の写真があった

(結果、公開まで2時間近くかかった)

残り95日 -平日の夜と不安感-

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今日の精神状態を考慮すると

楽しく過ごした週末を終え、月曜日を迎えた。また仕事が始まった。

今日の仕事はわりと精神的な負荷があった。今日は木曜日の会議の準備をしたかったが、空気を読んで損な役回りを引き受けたことで、ほぼ進められなかった。そもそももっと早めに準備に動くべきだったのだが、先週は別の会議資料にメッセージ性を込めるのに張り切ってしまい、手をつけられていなかった。

遅れを取り戻すため、今日はこれから資料作成をしなければならない。

逃避願望が頭をぼんやりとさせ、焦りが胸をざわつかせるのを感じる。

 そんな心持ちでどうやってお笑いのことを振り返ればいいのだろうか。


ということで、今日はこれまで何回も何回も繰り返してきた、少し暗い平日の夜について書いていきたい。

制限時間は45分。

 

CAFFE VELOCE

職場からアクセスの良い繁華街にチェーンの喫茶店ベローチェがある。今もベローチェでこの文章を書いていて、ここにはもう7年近く来ている。

この街は歩ける範囲にベローチェが4店舗ある。群生地だ。ドミナント戦略とも言う。

その中でもこの店舗が一番好きだ。駅前やオフィスに近い店舗に比べ、適度にゆるい空気感があって、どうしようもない大人が多い。

これは駅前のベローチェ

ベローチェは一般的に、同価格帯のドトールに比べ店内がゆったりとしている。内装も落ち着いていて、椅子も基本的に革張りだ。そして、アイスコーヒーだけを頼んでもトレイに載せてくれる。別に仕方ないと思うが、ドトールにそのサービスはない。私はベローチェのトレイにいつも慈愛を感じている。

 

4年前まで、多いときには週5回来ていた。挙句、ベローチェも含めこの街が気に入って、近くに引っ越してきてしまった。

だが、そうするとベローチェに寄らず家に帰った方がむしろ楽だったので、回数は減った。ベローチェを求めるがあまり、ベローチェから遠ざかることになった。皮肉である。

そしてコロナ禍に入ってからは閉店時間も早くなってしまい、平日に立ち寄ることは更に少なくなった。

以前はふちねこキャンペーンもやっていた

しかし、またここ何か月で、週2、3回は立ち寄るようになった。

4月から担当業務に変更があり、新年度の方向性を色々と練らなくてはいけなくなったので、作業効率と自分の気分を上げるため、10年ぶりにノートPCを買い替えた。Surface Laptop Goである。これまでのPCよりだいぶ軽く、仕事に持っていってもさほど苦じゃない。

そして、ちょうどベローチェも営業時間が22時までに延びていた。30歳を年内に控えた焦りを仕事にぶつけようという思いも少しあって、またベローチェライフが始まった。

 

 

こうして書いているとベローチェへの愛着が溢れてきて、なんだか気持ちが上向いてきてしまった。

だが、ベローチェで過ごした膨大な時間で感じていたのは、大抵が不安感や焦燥感、寂しさ、手に入らないものへの憧れだった。

そう、それを書こうと思っていたんだった。

 

なお、設定したブログ作成の制限時間45分は、とうに過ぎている。

 

ベローチェで不意にやってくる不安感

4年前までは実家に住んでいて、折り合いの悪かった父と顔を合わせないためにも、23時までベローチェで過ごしていた。店内が空いているのをいいことに、3時間近くコーヒーとサンドイッチで居座っていた。

当時は仕事は残業をして会社で片づけていたから、ベローチェでは本を読んだりYouTubeを観たり、延々とネットサーフィンをしていた。

最近はネットサーフィンをしながらも主に仕事をしている。業務への責任感や、エセ意識高い系としてのプライド、それとサービス残業への恨みをないまぜに、取り組んでいる。

 

そうして過ごしていると、不意に不安感に襲われることがある。

胸がざわつく。心が胸にあるとして、その輪郭がどんどんぼやけていくようで、段々ひとつのことを続けられなくなる。本を読み進められなくて、開いたり閉じたりする。Webページも少し読んで、次々に違うものをタップしていく。仕事もできない。

 

切羽詰まって頭の中で自分に問いかける。

この不安感は何だ。何が原因だ。何をすれば解消されるんだ、と。

胸にわだかまる何かの原因を、あれか?これか?と考える。仕事だろうか、友人だろうか、過去だろうか。

考えたところでひとつの原因に辿り着くことはできない。いつも抽象的で大きな何か、これまでの人生の歪みとか、そんなところに行き着く。

そうした時に考えがちなのは、やっぱりアイデンティティが拡散しているからだとか、生きていく指針がないからだとか、幹となる部分があまりにも細いからだ、といったことだ。

 

自意識なんて所詮玉ねぎで、剥いていけば何も残らないと分かっている。それでも自分の中心に何か核があると信じたい。あるべきだと思っている。

それは自分の選択がただのランダムだと思いたくないからだろうか。自分の意志で選んで、この道を来たと思いたいのか。何故だろう。自分の幸福が、ただ与えられたものではなく、獲得したものだと思いたいからか。分からない。

 

この不安感は、この場にとどまることへの不安ではないか、と考える。ここでこうしていていいのか、という不安。私は成長、発達、向上しなければならない、という潜在的な義務感だろうか。

現状のまま横ばいに生きていれば、いずれ下がっていく。今目の前にあることへの不安ではなく、いつか向き合うことになる不安を予期して、不安になっている。


今日もそんな不安感を覚えたから、この文章を作り始めた。この感覚は、自分の青年期において、特徴的な傾向と言える。

 

書き残すということ

そんな時にいつも自分がどうしてきたか考えてみると、とにかく思考を書き連ねていたように思う。

思考を整理するために論理立てるというよりは、感覚的でもいいからどうにかこの心象に合った言葉を探す、というような作業だった。

 

"焦燥"という単語でEvernoteを検索すると、2019年5月のメモが出てきた。

「焦燥だけがあって、実際のところ何を望んでいるのか分からない。早く何かで埋めなければ渦にのまれる。それは下水道に続く排水口か、元の形を留められないブラックホールなのか。じっくりとユニットバスの渦を眺めて流される先を想ってみても、考えるほどに、これと自分を重ねるという思考こそが、余計にそんな状況を生んでいるという考えが強調される。

 この焦燥感に、ゲームのアップデートパッチのように何らかの情報を追加して刺激を与える。漠然とした不足感にぴったりと合う何かなどあるはずはないのだが、とりあえずネットサーフィンをしてみたり人気のない居酒屋に入ってみたりする。」

このメモには何も建設的なことは書かれていない。

排水口やブラックホールという表現が優れているのかは別として、感覚と思考をどうにか書き表そうとしたのだろう。


書き残すことで、この不安感に名前を付ける、枠組みを与える。情緒的な思考の整理と言ってもいいかもしれない。そういったことをやり続けてきた。

 

思えば、感覚をテキストにすること、それは自分にとってセラピーのようなものだったのだな。

 


このブログはそもそも青年期の整理を目的としていた。

自分が何故文章という形式をわざわざ取ったか、少し分かったような気がした。

 

6日目を終えての感想

・制限時間45分のところ、休憩しつつ4時間近く書いていた。案の定、深夜になっても資料に手を付けられていない。

・今回は自分が文章を書く理由について、これまでと異なる角度での気付きがあった。

・同時に、文章を書くこと自体が好きだということを改めて認識した。

 実際に今日は不安感があったからこそ、ダウナーな内容でいこうと決めたのだが、ベローチェについての導入を書いているうちに楽しくなってしまい、陽気な蛇足ばかり書こうとしてしまった。その軌道修正にも時間を要した。

・来週からもう涼しくなり始めるようだ。残り少ない夏、どうにかしなければ。