私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

残り99日 -青年期について-

これは今年で30歳になる私が、20代を終える焦りで始めたブログです。
30歳までの100日間、毎日30分は時間を取って書いてみようと思います。

青年期について

大学3年生のとき、教養科目で発達心理学の授業を選択した。
大講堂での授業で、出席者が多かった記憶がある。楽単だったのかもしれない。残念ながら、それを教えてくれるような友人は私にはいなかったが。

ちょうど真ん中あたりの席から、優しそうな女性講師の話をぼんやりと聞いていた。
半期の授業が終わり、テストの準備をしていく中でやっと内容の面白さに気付いて、珍しくSかAの評価をもらった気がする。

彼女が言うには、エリクソンという心理学者が、人間の発達段階を以下の8つに分けたとのことだった。

乳児期、幼児期初期、幼児期後期、学童期、青年期、初期成人期、壮年期、老年期

簡単に言えば、身体の成長や環境の変化に応じて、行動や思考が変化していくという理論で、例えば乳児期から幼児期の移り変わりでは、自分でできることが増えるにつれ自分の意思が生まれてくる。それと同時に、やりたいことをやらせてくれない両親への疑いや、上手くできないことへの恥といった感覚を覚えるようになる。
このように理論の中では段階に応じた適当な発達とそれに伴う心理的課題が説明される。

印象深かったのは老年期についてで、成熟と老いを経験したあと、どのように心理が発達していくかということ。
死を間近にしたとき「適当な発達」は、自分の人生に折り合いをつけ、死を受け入れること。そして子ども世代や世界全体のことに自然と関心を抱くようになること。
反対に「心理的課題」、つまり陥る可能性のあるクライシスは、取り返しようのない自分の過去に囚われて絶望してしまうこと、とされる。
学生の自分に、死を受け入れられる心持ちというのは想像できなかったが、そういった心理の発達が存在するということ自体が、とても面白かった。

講義を受けていた当時の自分はもちろん「青年期」に属していた。
(年齢の区分には諸説あり、エリクソンの発表当時は20歳頃までだったそうだが、現代では20代前半または29歳までの場合もあるようだ)
青年期の心理的課題は、「アイデンティティの確立」で、それはまさに当時の自分が感じていたことだった。
そこら中にある話だが、就活を控え自分がどんな人間か、何をしたいか考える必要があったし、どうしても他人との比較をしてしまう時期だった。
さらに個人的な事情として、色々と不甲斐ない大学生生活を送っていたため、なかなか自分を肯定できなかった。

アイデンティティの確立について悩むということは、セルフイメージと現実のすり合わせのようだが、自分はどうしてもそこに同一性を見つけることはできなかった。そういった状態を「アイデンティティ拡散」というが、あの頃は何かあるとすぐに「おれはアイデンティティ拡散してるからな…やっぱだめだな」といった状況だった。

青年期は続く

そして、29歳の現在。本来であれば初期成人期に入っていても良い時期である。
社会人として案外真っ当に働いている。ひとりで生計を立て、多少の経験を積んだ。それでも自分が大人かどうかに疑いを持っている。
大学生の頃と表面上は異なるが、どうしても根本はあの頃と地続きに思える。次の発達段階に入ったようには思えない。
今でもアイデンティティ拡散の自意識があるからだろうか。あの頃の呪いじみた思考が、脳を作り替えてしまったようにも思う。

そんなことを考え、29歳まではとりあえず青年期で構わないだろう、と思っている。


今こうして講義を思い出して、あの教室でアイデンティティを確立できていると思っていた人間はいただろうか、と気になった。
みんな私と同じだったのではないか。

当時の自分には、そうは思えなかっただろうな。