私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り46日 -国民への提言-

もし自分が全国民が聞いている中で、ひとつだけ何かを訴えるとしたら何を言うだろう。そのひとつだけは、国民も耳を傾けてくれるとして。

(一応最後に結論は書いていますが、それまでの云々がとても長くなりました)

 

最近仕事関連の講義を受けている。毎回違う講師が話をしてくれるが、みんな業界に危機意識を感じていて、根本的な変革が必要だと言っている。その時のトーンは切実で、何なら怒っている。長年業界に携わる中で、色んな行き詰まりややりきれなさを感じてきたのだろう。現場や企業のことに留まらず、地域や行政、日本人の国民性にも変化が必要だと、言葉を尽くして説明をしてくれる。受講者に希望を託しているように。

 

何か物事が上手くいっていないとき、考え抜くとそもそも論にたどり着いてしまう。それを変えなければ、何も変わらないよね、と。

講義を通して、日本の未来が暗く思えてしまった。そんな中で、何が変われば日本は良くなるのだろうかと思った。そもそもの原因は何なんだろうと。まあそんなものひとつの原因に収束できるわけがないし、そもそも何が問題か曖昧なまま考えても無駄だろう。

個人的には、国単位で言えば人口減少や地方の過疎化、教育格差が気になるし、個人単位では寛容さに欠ける国民性が気になっている。それらをひとつのメッセージで変えることなんて可能なのだろうか。

 

まあ今回考えていたのは、もっと低いレベルで、「もし自分が記者会見か何かで、メッセージを発信できるとしたらどうしようか」という、単なる妄想の延長だ。もし刷り込みのように、何かひとつ新たな価値観や視点を日本人に植え付けることができるなら、どうするだろうか。

どうせなら、国民全員にとって、何か意義のあることを言いたい。社会問題への提言でも、何か人生哲学的なことでも。だが、なかなか難しい。差別はやめようとか戦争はやめようとか言ったところで、それはメッセージとして効果的だろうか。聞き流されるだけではないだろうか。子育てしやすい社会を、と自分が言って何か変わるだろうか。

 

市川沙央さんの芥川賞会見を思い出す。彼女が当事者として語った言葉には力があった。人生をかけて小説を書いてきて、それがやっと報われる場で、彼女は「一番訴えたいのは読書バリアフリーが進んでいくことです」と言った。もっと幅広く障害者の不自由を訴えることもできたろうが、あえて読書バリアフリーに的を絞って訴えた。それはとても効果的だったように思う。

 

となると、自分は何を訴えるだろうか。自分という何者でもない人間が発するメッセージは、どんなものだったら届くだろう。それには当事者性と、コンパクトな提言が必要とされる。反対意見が出そうな主張ではなく、その主張単体で社会が動くような提言がいい。

 

あれこれ考えた結果、ひとつのメッセージにたどり着いた。

「店員さんには優しくしましょう」

そう記者会見で言おうと思う。力強くはっきりと。

これが自分という人間の限界だ。


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