31才まで残り55日 -ちゃんと生きることへの疑い-
今日はフリーマーケットに出店して、実家に車を返し、売れ残った品物やラックを全て片付け、家でトレーニングをした。
気分が良いな、と思った。ちゃんと生きると気分が良いな、と。
だが同時に、自分はちゃんと生きなければいけないという強迫観念に追われてるのでは?と疑問に思った。あたかも絶対的な正義のように誰かに刷り込まれているのでは、と。
少し考えてから、「ちゃんと生きると気分が良い」なんてことを何故わざわざ疑うのか、と自分が愚かしく思えた。「そんなことを考えるのは、お前がちゃんと生きるのが怖いか、面倒くさいだけだろ?」と。
「ちゃんと生きると気分が良い」に対し、「それはちゃんと生きなければ、という強迫観念に追われてるのでは?」と思い付いた。何故後者を正しいものと受け入れてしまうのだろうか?
もしかすると人生のどこかで、疑う姿勢こそが正しい姿だ、と自分にとっての真理を見つけてしまったのかもしれない。
全てを疑うとなると、ひとつの思考に必ず対となる思考が浮かぶようになる。二律背反する思考・判断が常に脳に並ぶということだ。
そして疑う姿勢こそが正しいのだから、後者が採用される。常に直感とは真逆の思考が、自分にとっての正解の思考になってしまうということだ。
これは認知の歪みと言えるかもしれない。
今回の思考の中で、「そんなことを考えるのは、お前がちゃんと生きるのが怖いか、面倒くさいだけだろ?」と言う言葉が出てきた。
これはなかなか正しいと思う。面倒くさいだけなんだ、結局。で、それでは格好がつかないからあれこれ悩んでいるふりをしているだけなんだ。
良い一日の終わりに、何故かまた自分を虐めてしまった。何をやっているんだろう。
まあ仕方ない。考えてしまったことだから。でも、ほら、ブログを書いたのは偉いじゃないか。
そうやって自分を褒めてあげよう。