私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り57日 -悪い想像、自己理解-

仕事からの帰り道、もし家族が交通事故か何かで自分を残し全員亡くなってしまったら、どうしようかと考えていた。何がきっかけかは覚えていないが、20分くらいその想像に囚われ考え続けていた。ネットでそんな記事を読んだのか、両親の年齢を思って想像してしまったのか、何が引き金になったのだろう。

もし両親と姉の3人が亡くなったと知ったらどうなるだろう。まずは衝撃を受けてまともな思考や動作ができなくなるだろう。悲しみより先に不安感が押し寄せる。まず亡くなった彼らの不幸より先に、きっと自分のことばかり考える。葬儀や相続や実家のこと、親族や関係先への連絡、それらを一人で満足に成し遂げられるだろうか、と。あまりにも長く辛い一人での時間に、自分は耐えられる人間だろうか。

そして、その後、どうやって生きていけばいいのか。仕事については、当分は週五日同じように働き続けることはできないだろう、身体的にも精神的にも。というよりそもそも家族がいなければ、今の会社でちゃんと働き続ける必要はないな、と感じた。

何故そう感じるのだろうか。やはり、働いているのは家族に認められるため、心配をかけないため、という部分が大きいのだろう。今の自分の存在理由や行動動機が、家族と紐付いていることに改めて気付いた。それを失えばアイデンティティを喪失したように思うのは当然で、きっと精神的にガラガラと崩れ落ちる。

様々なドキュメンタリーやフィクション、伝え聞いた話から、家族を失えば長い回復期間が必要になることは知っている。だが、その想像はしてこなかった。逃げてきたとも言える。

死は誰にでも訪れ、何かをきっかけに容易に一変するほど、日々の生活というのは案外脆い。

そんなことを考えていた。

 

未来を思えば誰でも不安になる、と聞いた。確かにそうだ。最悪の想像というのは、考えるべきことなのだろうか。心は落ち込むし、現に昨日は家に帰ってからもそわそわとしていた。

最近少し忙しくなり、30才という年齢の焦りも相まって、今こんなことが起こったらもう耐えられる範囲を越えてしまうな、と考えてしまったのか。個人的な傾向として、あえて自分を叩きのめし虐めるような思考をしがちだ。悲劇のヒロイン的と言ってもいい。

段々自己理解が進んできてはいるな。それを変化させるのが難しいことにも気付いてきた。

 

来月は家族旅行へ行く。行き先も知らず付いて行くだけだ、弟だから。現地ではちゃんと弟にできることをしようと思っている。


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