私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り35日 -架空の敵、アイデンティティ、帆立パスタ-

空になったハンドソープの詰め替えボトルを捨てようと、識別表示を確認した。本体はペットボトルごみで、フタとフィルムはプラごみだった。中身を軽く洗って、ボトルはペットボトルごみ、他はプラごみに分別した。

昔、父親が細かすぎる分別ルールに、くだらない、と吐き捨てた光景を覚えている。また、人が当然のように分別をしない姿にもしばしば出くわす。

だからなのか、分別をしていると時々「そんなちゃんと分けなくてもいいよ、真面目だね」と他人に嫌味を言われる想像をしてしまう。そして、それに何て言い返そうか、と。(実際は自分も毎回毎回ちゃんと分別できているわけではないが)

 

何故自分が分別をしているか考えると、「母親がそうしていたから」、「学校で習ったから」という2つに行き当たる。

母親については家庭によって差があるが、学校教育については同世代であれば、あまり差はないはずだ。

だから、「何でそんなちゃんと分別してんの?」と言われた際には「学校で習わなかった?」と言い返すことができる。「そんなちゃんと分けなくてもいいよ、真面目だね」と言われたら、「義務教育には税金がかかってるから、ちゃんと学ばないのは税金泥棒だよ」と皮肉ることも可能だ。

とはいえ自分も自分で、十分に恵まれた環境で育ったと思っているから、社会のフリーライダーになりたくない、という意識が強い。だから、行政や法律に対してわりと従順になりがちだ。

 

 

こうやって今日も脳内で架空の敵を作り口げんかをしている。こういうことをするようになって、もう15年は経った。何故だろう。これはいつか起こるであろう口げんかの練習だろうか。いや、自分の思想を磨く作業、というと格好が良いかもしれない。

最近はSNSのアンチ人種が架空の敵になることが多い。何か考えごとをしてひとつの結論にたどり着いたとき、それに対してSNSのアンチ達は何て言ってくるだろうと考える。彼らは仮想敵として非常に厄介で、大抵はこちらが手を引くことになる。やり場のない気持ちのまま、思索は終わる。

アンチの顔は見えないし、年齢も性別も住んでいる地域も分からない。だから具体的なイメージがしづらい。

だが、自分は高校のクラスメイトが授業アンケート用紙に、教師への理不尽なアンチコメントを書き込んでいるのを目前で見たことがある。彼の普段の性格からはなかなか意外だった。

なので、SNSのアンチを想像すると、時々彼の顔が浮かぶ。もう12年会っていないのに、こんな風に思い出されているなんて、彼は考えもしないだろう。言ってみれば、自分も彼のアンチかもしれないな。

 

 

自分の中の「敵に打ち勝ってアイデンティティを確立する」という思考は少し変わりつつある。自分に自信を持つことの方が大切だと、今では分かる。だから、1日の終わりには今日やり遂げたことを数える。

今日は帆立パスタに挑戦したから、君は偉いよ、と。


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