私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り37日 -空想、さかなクンのビジョン-

よく空想をする。不特定多数に称賛されたり、会いたい人に会えたり、仕事で大きな成果を残したりといった都合の良いことを考える。そのとき考えるのは、気分が良くなる瞬間のことばかりで、何をどうしてそうなったかは考えない。

称賛されるために何をするのか、どんなことを乗り越えなければならないのか、どうやって1日1日を過ごしていくのか。そういった現実的なことは考えない。

会いたい人に会う空想をして、何を話そうか、何て言ってくれるだろうかとは考えるが、どうやって連絡を取るかとか、会う前の不安感とか、そういったことは考えない。

仕事で大きな成果を出すため、何々をこう改善しようと考えるが、そのひとつひとつのプロセスで感じるストレスや、発生するこまごまとした作業は考えない。いや、仕事の場合は考えてしまうか。仕事の時は他と少し思考回路が異なる。

 

空想は形にしなければならない。そして、形にするにはプロセスを考えなければならない。プロセスを考えるにはスケジュール感を。

空想を形にするには、徹底して空想を捨て、現実に生きなければならない。それが出来ていないから自分の空想は形を持てず、いつの間にかどこかへ消えてしまう。

 

少し話は変わるが、「幸福になるには夢を叶えることが大切」、「そのために夢を持っていなければならない」というのは正しいだろうか。

唐突だが、さかなクンを例に考えてみよう。彼が今インタビューか何かで「幸福か」と問われれば、きっと幸福だと答える。(さかなクンのパブリックイメージに則った場合)

だが、さかなクンは今の自分を昔から想像していたのだろうか?ハコフグを頭に載せ、客員教授になり、国会の調査会に出席し、自分の人生が映画になること。彼はこうなる夢を持っていたのだろうか。そのために、ひとつひとつのプロセスを達成しできたのだろうか。

おそらく違う。彼はやりたいことに自分らしく誠実に向き合ってきただけで、ひとつひとつのことを、夢を叶えるためのプロセスだとは思っていなかったはずだ。

目の前のこと、ひとつひとつに向き合う。それを楽しめたりやり甲斐を感じれたら、なお良い。

 

「大きなビジョンを持て」という怪しい実業家へ、「さかなクンはどんなビジョンを持っていたんでしょうか?」と返す。

今日はそんな空想をしている。


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