私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り44日 -西暦10000年、弥勒菩薩、ムカシトカゲ-

Wikipediaに「11千年紀以降」というページを見つけた。ふと気になって西暦2万年と検索したら、行き当たった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/11%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%B4%80%E4%BB%A5%E9%99%8D

 

天文学素粒子物理学、進化生物学の知見により、西暦1万年以降のことが大まかに予測できるらしい。いずれ南極は溶け、ナイアガラの滝がなくなり、大陸はひとつになり、星の軌道が変わり星座はなくなるそうだ。

1万年後には大体の人類が滅ぶだろうと書かれている。生き残った人類については、異人種間の交配が進み、地理的な遺伝的変異の偏りがなくなる。遺伝的な特徴は残り、どの地域にも等しく分散される。つまり、どこに行っても同じような割合で黒髪やブロンドや赤髪の人間がいることになる。

 

考えてみれば当たり前だか、現在は常に過渡期なのだ。人類も進化していく。未来人は今の自分達からすれば、異様に映るかもしれない。

 

結局は人類は滅び、地球もなくなる。宇宙を目指せば種の延命はできるが、そもそもこの宇宙自体が無くなるらしい。

無くなる理屈は読んでも全然分からない。ブラックホール超新星爆発はまだいい。量子トンネル効果も分からないが、言葉の響き的にまだ許せる。だが、「ボルツマン脳が真空に現れる」はだめだ。

 

少し話はそれるが、弥勒菩薩は56億7000万年後に人間世界に現れ人々を救うとされている。

1万年後に人類が滅ぶ可能性も高いが、遅くとも8億年後には地球の大気から酸素がなくなり、多細胞生物全体が滅びる。少なくとも弥勒菩薩は50億年くらい間に合っていない。大遅刻。集合場所に行ったらもう誰もいなかった、の極限だ。


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(おそらく弥勒菩薩根津美術館の庭園にて)

 

ニュージーランドにムカシトカゲという原始的なな爬虫類がいるそうだ。恐竜や鳥類、亀の祖先とも言われている、生きる化石だ。

見た目も可愛げがあるが、ネーミングが良い。ムカシトカゲって、もうそれは安易すぎないか。

 

もし、現世人類が一万年後、どこか閉鎖された地域で今のまま生き残ったとする。彼らは新たな人類たちから、ムカシニンゲンとでも呼ばれるのだろうか。

 

今日は、ムカシニンゲン、それを言いたかっただけだ。

31才まで残り45日 -この夏のハイライト、YouTube Musicさん-

今日は楽をしようと思う。YouTube Musicさんがこの夏のハイライトをまとめてくれましたので、そちらを貼っておきます。

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確かにハイライトだ。ひとつひとつの曲やアルバムを振り返りたくなる。

 

しかし、もう寝たくて寝たくて仕方ない。まぶたを閉じ早く夢の世界に行きたい。わりと近くでまどろみが呼んでいる。ちゃんと寝て、明日少しでも気分良く目覚めたいんだ。

 

ありがとうYouTube Music。今日は助かったよ。でも君に頼りすぎちゃいけない気がしてる。

31才まで残り46日 -国民への提言-

もし自分が全国民が聞いている中で、ひとつだけ何かを訴えるとしたら何を言うだろう。そのひとつだけは、国民も耳を傾けてくれるとして。

(一応最後に結論は書いていますが、それまでの云々がとても長くなりました)

 

最近仕事関連の講義を受けている。毎回違う講師が話をしてくれるが、みんな業界に危機意識を感じていて、根本的な変革が必要だと言っている。その時のトーンは切実で、何なら怒っている。長年業界に携わる中で、色んな行き詰まりややりきれなさを感じてきたのだろう。現場や企業のことに留まらず、地域や行政、日本人の国民性にも変化が必要だと、言葉を尽くして説明をしてくれる。受講者に希望を託しているように。

 

何か物事が上手くいっていないとき、考え抜くとそもそも論にたどり着いてしまう。それを変えなければ、何も変わらないよね、と。

講義を通して、日本の未来が暗く思えてしまった。そんな中で、何が変われば日本は良くなるのだろうかと思った。そもそもの原因は何なんだろうと。まあそんなものひとつの原因に収束できるわけがないし、そもそも何が問題か曖昧なまま考えても無駄だろう。

個人的には、国単位で言えば人口減少や地方の過疎化、教育格差が気になるし、個人単位では寛容さに欠ける国民性が気になっている。それらをひとつのメッセージで変えることなんて可能なのだろうか。

 

まあ今回考えていたのは、もっと低いレベルで、「もし自分が記者会見か何かで、メッセージを発信できるとしたらどうしようか」という、単なる妄想の延長だ。もし刷り込みのように、何かひとつ新たな価値観や視点を日本人に植え付けることができるなら、どうするだろうか。

どうせなら、国民全員にとって、何か意義のあることを言いたい。社会問題への提言でも、何か人生哲学的なことでも。だが、なかなか難しい。差別はやめようとか戦争はやめようとか言ったところで、それはメッセージとして効果的だろうか。聞き流されるだけではないだろうか。子育てしやすい社会を、と自分が言って何か変わるだろうか。

 

市川沙央さんの芥川賞会見を思い出す。彼女が当事者として語った言葉には力があった。人生をかけて小説を書いてきて、それがやっと報われる場で、彼女は「一番訴えたいのは読書バリアフリーが進んでいくことです」と言った。もっと幅広く障害者の不自由を訴えることもできたろうが、あえて読書バリアフリーに的を絞って訴えた。それはとても効果的だったように思う。

 

となると、自分は何を訴えるだろうか。自分という何者でもない人間が発するメッセージは、どんなものだったら届くだろう。それには当事者性と、コンパクトな提言が必要とされる。反対意見が出そうな主張ではなく、その主張単体で社会が動くような提言がいい。

 

あれこれ考えた結果、ひとつのメッセージにたどり着いた。

「店員さんには優しくしましょう」

そう記者会見で言おうと思う。力強くはっきりと。

これが自分という人間の限界だ。


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31才まで残り47日 -季節を理解すること、秋とは-

今週のお題「急に寒いやん」

 

今週のお題を見て、皆もそう思ってたんだ、と安心した。一人暮らしで家にテレビがなく、職場でそれほど世間話をせず、SNSも大してやらないと、その辺りの感覚が他人と共有できない。

何でこんなに急に寒いのだろう。自分以外の皆は、TVとかでその理由を知っているのだろうか。何か大変なことが起こってたらどうしよう。街中で号外でも配っていないと、自分はそういう情報を取り漏れてしまう。

 

季節の変わり目の、半袖Tシャツに薄手の長袖シャツを羽織るくらいの気候が好きだ。これはこの何年間で確信に変わった。その時期は気分が良い。

おれは夏が好き、私は冬が好き。そういった季節の会話に入れないでいた。季節への関心が薄く、毎年初めて経験するかのように、気候の変化に戸惑い続けていた。

最近は季節の特徴と、それが自分に与える影響が少し分かってきた。最近は夏も好きだ。特にこの2年はプール遊びを覚えたのが大きい。隙さえあればプールに行きたくなる。それも影響してか、「今年は熱い夏にしたい……」と季節を意識し、それを楽しもうとする気持ちが強くなってきた。

 

秋は短い。あっという間に過ぎてしまう。ぼんやりしていると、にぎやかで苛烈だった夏のクールダウン期間のようになってしまう。

「今年の秋こそは」というものに、まだ出会えていないからかもしれない。夏のプールのように、自分にフィットした風物詩を何か見つけられれば、きっと熱い秋にすることができる。現時点では、きのこ狩りが熱そうだと思っている。何故だろう。

 

しかし、そもそも秋は熱くなる必要があるのだろうか。読書の秋、食欲の秋、芸術の秋という表現があるが、それは何を意味しているのだろうか。

そこで少し考えてみたところ、秋は「豊かさ」ではないだろうか。自分が目指すべきは「熱い秋」ではなく、「豊かな秋」ではないだろうか。

 

何だか良いことに気付いた気でいる。頑張って豊かな秋にしたい。願わくば暖かい日がもう少し続きますように。


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31才まで残り48日 -blink-182と友人-

blink-182の新曲を聴いて、込み上げるものがあった。

youtu.be

彼らは90年代から活動をしてきたカリフォルニアのバンドで、ポップパンクの代表的なバンドと言われている。

これは久しぶりにオリジナルメンバーが集まって作ったアルバムのシングルカットだ。

人気の絶頂から、メンバーの脱退や活動ペースの停滞など色々なことがあった中、彼らは今こうしてまた音楽を作っている。

 

blink-182のこの曲は本当に素晴らしい。メロディーが相変わらず素晴らしいことに嬉しくなる。焼き直しという意味の相変わらず、ではなく、彼らが彼ららしくある、という意味だ。

そして、歌詞の良さ。メンバーが離れ離れになったこと、お互いがその月日に乗り越えた人生のあれこれ、こうして今同じバンドに戻ったこと、そのかけがえのなさ。それを彼ららしいサウンドで歌っている。少し引用すると、

“Strangers, from strangers into brothers. From brothers into strangers once again.“

「他人から兄弟のようになって、そして兄弟からまた他人に戻ってしまった。」という歌い出しから、

“Do I have to die to hear you miss me?“

「おれが死にでもしないと、もう君はおれを思い出してくれないのか?」というパートへ。blink-182だから、ここまでストレートに言える。この歌詞は普遍的で、多くの人が自分の人生を重ねることができる。

個人的にもblink-182を聴いていた10代の時のこと、そして友人達を思い出す。中古CDを探し回ったことや、あまり連絡を取らなくなったあいつについて。

 

自分には15年以上つるんでいる地元の友人達がいる。昔はべったり一緒にいたが、社会人になってからは、離れて、近付いて、また離れてを繰り返している。考え方に段々ずれが出てきてぶつかることも多いし、皆で何かをするのが難しくなってくる。大人になって冷たくなった部分もあるかもしれないし、子どものままお互いに甘えてしまっているとも言える。

それでも、自分は彼らと他人に戻りたいわけじゃない。次会うのは誰かが死んだ時、なんてことにはしたくない。彼らとの関係が完全に過去のものになってしまうのは寂しい。もしそうなれば強く後悔するだろう。

“I miss you, took time, but admit it“

「君達に会いたい、認めるのに時間はかかったけど」と歌詞にもある。自分も似たようなことをよく感じる。こんなにもこいつらにむかつくのは、まあ好きなんだろうな、と。

 

段々ポップパンクを聴かなくなってきたけど、彼らが教えてくれたことは沢山ある。そう思った。


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31才まで残り49日 -私とK-POP-

実は最近のK-POPに少し詳しい。K-POPは凄いことになっている。第4世代と言われるグループ達が毎週代わる代わる新曲を出していて、どれも面白い。

(G)I-DLE、IVE、LE SSERAFIM、aespa、NewJeans、XG、NMIXXなど、主だった女性グループでこれだけある。
男性グループには詳しくない。男性が対象の場合、自分にとってのアイドルはロックバンドだったりラッパーだったりするのかもしれない。

彼女たちは、それぞれが異なる世界観や価値観を表現していて、その多様さも面白い。

 

新しい音楽はジャンルを問わず一度は聴くようにしていて、これまでもK-POPはちょくちょく聴いていた。しかし、凄いなとは思うものの入れ込むまでには至らなかった。

今年K-POPを聴くようになったのは、NewJeansの存在が大きい。彼女からおすすめされて、MVを観て完成度に驚いた。アイドルにありがちな甘いところが本当にないし、音もアメリカの最新のポップスの音がする。パフォーマンスも良い。

少し前にNewJeansおじさんという言葉が流行ったのだが、自分も同じような反応をした。曲を聴いて、「このクオリティの高さおかしくないか?」とすぐさまバックグラウンドを調べ、「そっか、プロデューサーが凄い人なんだ」と納得をした。音楽好きはこういうことをする。プロデューサーが〜とか音楽的に〜とか言いがちなおじさん達は、昔からのK-POPファンに煙たがられているそうだ。日本におけるK-POP受容の歴史の1ページだ。自分はそもそもアイドル文化がわりと好きなので、NewJeansおじさんとは少し立ち位置が違うなと思っている。

 

冒頭に挙げたグループの中で、どれが一番好きかと聞かれると困る。彼らは次々に新曲を出すから、それこそ週替りで自分の関心も移っていく。畳み掛けるようにMV以外のコンテンツもアップされるので、段々メンバーの名前を覚え、性格が分かり、メンバー同士の関係性も分かってくる。自分がなかなか深いところまで来ているのを感じる。

最近のK-POPのコンテンツの豊富さは恐ろしい。MV、別バージョンのMV、MV撮影の密着動画、振り付け動画、ショート動画、他アーティストとのコラボショート動画、音楽番組、バラエティ、そしてファン作成のまとめ動画。YouTubeアルゴリズムも相まって、もう自分には逃げ場がない。

 

 

最近はとにかくメンバーの健康と笑顔を祈っている。昔はもう少し憧れのような感情もあったろうが、今は親心のような気持ちが強い。面白い変化だ。

アイドル文化の熱狂の主役は、やはり10代•20代のファン達だと感じる。30代男性はメインターゲットではない。もしかすると、だからこそフラットに楽しめるのかもしれない。彼女達の表現するものを素直に受け入れられる。

 

club snoozerというロック系のインディーミュージックをルーツにしたイベントで、NewJeansがかかった。深夜2時、おじさんも若者も熱狂し踊る。その姿は、自分にとって今年の大切なハイライトのひとつだ。


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31才まで残り50日 -睡眠と夢、逃避-

また寝落ちした。12時間寝たので、寝落ちという言葉は適切ではないか。

貪るように睡眠を取る、という感覚があった。目が覚め時計を確認する、そしてまた目を閉じる。別に起きてもいいのだが眠ってもいい。平日にはない選択の自由。

 

夢を見た。内容は大して覚えていないが、心地良いものだった気がしている。その雰囲気に浸り続けたくて、目を閉じた。夢を見るために進んで眠るというのは、極端に言えば退廃的で、だからこそ貪るという表現が合っているように思えた。

20代のある時期は明らかに逃避を目的に、貪るように眠っていた。起きている時間では、眠りにつこうとする瞬間だけが気が楽だった。夢を見続けていたいと思っていた。朝目を覚ましても、そのまま目を閉じ、また眠気が来るのを待っていた。

今ではそこまで逃避の感覚はない。一か月に一度程度、軽いものがあるくらいだ。

 

今日の夢では、友人カップルとその女友達がでてきた。女友達は実際には存在しない、架空の人物だと思う。自分の記憶から寄せ集めて出来た人物だろう。

舞台は夜の都内だった。その子は若く、なかなか性格を拗らせていて、攻撃的だし社会に嫌気がさしているようだった。その子をどうにか良い方向に導こうと、夢の中で説得を試みていた。映画館を探したりカフェを探したりして、自分が知っている愛すべき文化や、それと付き合う楽しさを説こうとしていた。なかなか上手くいかず、終電が近付いてくる。路線検索をして「最寄り駅まで帰れなくても、最悪あの駅からタクシーでもいいか」と考える。

覚えているのはここまでだ。残念ながら今回の夢に良くできた結末はなかった。

 

自分は人と接するのが好きだが、大人になって色々な個別事情が出てくると、安易に踏み込むことができなくなる。会が開けた後、自分の言ったことを後悔することも多い。

夢の中でも、そういった気遣いの必要性や、怖さはあるのだが、別に上手く行かずとも後悔をする必要はない。嫌な思い出は残らず、誰かと話すことができたという満足感が残る。それはほんの一瞬で消えてなくなってしまうが。

 

その日見た夢について考える土曜日の朝、31才まで残り50日。呑気な話だが、まあそんなこともある。

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