私の青年期

2022年11月に30歳になりました。焦っています。

31才まで残り59日 -コンプレックスの薄れ-

特に書くことは思い付いていない。

友人と旅行の打合せでLINE通話をしている、かれこれ一時間半。友人が二人分の予約をしてくれようと難儀している間、こちらは呑気に暇なので、これを書き始めた。

思うに、昨年ブログが続かなかったのは「あれを書かなきゃ」と義務のように思っていたからかもしれない。もっと適当でいいんだ。書きたいことを書けばいいし、フリースタイルでもいい。

 

それで何を書こうか。音楽の話でも書こうかと思っていたけど、電話中だから書き上げるのは難しそうだ。どうしたって感傷的になるから。

さっきシャワーを浴びながら考えたことでも書いてみよう。コンプレックスについて。

「コンプレックスは誰にでもある。身体的なこと、経歴や人間関係、全てに満足している人は少ないだろう。どうしたって他人と比較して劣等感を覚えてしまうものだ」と思っていた。

しかし、30才になってみると、自身の不満な点を以前のように「コンプレックス」とは感じなくなってきた。完全にではないが、だいぶ感覚は薄れてきた。「ある点においては劣っていることを認めるが、総合的に見て恥ずかしいほどではない。これでちゃんと生きれているし」というような感覚だ。

コンプレックスの感覚が薄まることによって、その結果、コンプレックスの克服に動くことができる。というのもコンプレックスがコンプレックス然としている内は、それに立ち向かうのは「ありのままの自分」を否定することになるからだ。自分を否定することは辛い。少なくとも自分にとっては辛かった。(ナルシスト気質であることも影響していると思う)

この一年は薄まりながらもわだかまっていたコンプレックスに、少しずつではあるが向き合い始めた気がしている。勉強したり、人に会ったり、旅行に行ったり、トレーニングしたり。

具体的なコンプレックスは恥ずかしいから言えない。だが、コンプレックスにも大小があって、実は大きいコンプレックス2つくらいがどうにもなっていない。先行きも見えない。どうしたものかなと毎日悩んでいる。悩むだけなのもあれなので、とりあえず小さいコンプレックスから片付けている。

まあこれが自分の30才の有り様だろう。なかなか30才になってコンプレックス云々言ってるのは目にしないな。幼いね、まったく。

 

結局、友人はアプリからだと予約が上手くいかないとかで、また後でやり直してくれるようだ。「頼んだ、おやすみ」と告げて通話を終えた。


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